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2014.02.26 (Wed)

素晴らしい指摘

大変いい話があったので全文を紹介します。



<声楽家・高田正人氏>

出遅れたけど真央ちゃんのフリーは素晴らしかった。
ショートが終わった時は真央ちゃんが呆然と悲しそうな顔をして立っているのを見て、
胸が張り裂けそうな思いで一杯だったけどフリーで圧巻の演技が見られて良かった。
演技が終わった瞬間感極まって泣いてしまった真央ちゃんと
一緒に泣いた日本人も多い事だと思う。
最後にあんな良い表情の真央ちゃんが見られて本当に良かったと思う。


オリンピックの舞台に立つというのはどのような気持ちだろう。
日本代表として舞台に立つのは想像を絶するプレッシャーだろう。

僕は17歳の時から20年以上も歌を続けているけど、
世界はおろか日本で3本の指に入った事すら1度もない。
大学からずーっと順位をつけられ続けるという世界に僕たちはいるけれど、
例えば学年で何位とか研修所の同期で何位とか、その年のコンクールで何位とか、
そういうものと「その世界の全ての日本人の中」で何位というのは全く次元が違う。


例えばジャンプの葛西は7回目のオリンピック。
7回目という事は28年間日本3位以内に君臨しているということだ。
28年間、彼を超える次世代ジャンパーがいないということだ。
それぞれの年の1位たちも彼を超えられず、41歳の彼に今もまだ勝つことのできない
何千という若きジャンパーがいるということだ。
オリンピック代表とは確かに何十年かに一人の天才の集まりである。


***


毎度フィギアの大会になると、キム・ヨナの点数はおかしいとか、
審査がイカサマとかいうネガティブキャンペーンが始まるけれど、
ああいうのは本当に気分が萎える。もう沢山ですという感じ。
ご丁寧に画像やイラストまでつけてこの採点はおかしいとか、
エッジの傾きがどうだとか、簡単なジャンプで逃げて云々、とか、
しまいにはブスなのに、とか、まぁどれだけ暇なのか、、、
真央ちゃんを応援するのは大いに結構だが、
そこから転じて他の国を罵倒するような尊大な愛国心はどうも苦手だ。


真央ちゃんに罵声を浴びせる韓国人もいる一方で、
こんかい真央ちゃんが転んだ時に客席のロシア人がそれを嘲笑したことに対し、
怒りの声をあげて抗議してくれた韓国人もいる。
どこの国にも良い人も悪い人もいる。


僕は今回のキムヨナの演技も素晴らしいと思ったし、
ソトニコワの演技もそれはもう素晴らしく、敗れたキムヨナも清々しい顔をしていた。
キム・ヨナは、「真央の涙に自分も込み上げてくるものがあった」とコメントを出し、
真央ちゃんも、「キムヨナは私の人生にとって良い思い出」とコメントを出した。
こういう競技者たちの友情や尊敬の気持ちがイカサマ云々で蔑ろにされてしまうのが悲しい。
ネガティブキャンペーンを張る人たちは、
氷上の彼女たちの輝いた顔を見て恥ずかしくないのだろうか。


では、(今回の話とかではなく)、100歩譲って不正が少しあったとしよう。
でもさ、そもそも世界というのは不公平なものなんじゃないのか。
人間が(芸術や美しさなどの)目に見えないもの点数をつける以上、
そこには何らかの主観が入り込んでくるし、公正なジャッジと言っても
なかなか難しい部分もあるだろう。もちろんイカサマだってあるかもしれない。

僕たちも海外のコンクールで明らかに1位では無い歌を歌っている人が
1位になっている結果を何度も見てきている。

「日本は不公平な国だ、評価が偏っている!」と言ってヨーロッパに行った先輩が、
数年後にイタリアで会ったら、「イタリアはもっと偏っていた」って言っていた。

世界どこに行ったって、地元の人間を勝たせたい、自分の生徒を勝たせたい、
そういう理由で偏ったジャッジが下されることは多々ある。

サッカーのアウェイではこちらの反則はすぐ取られ向こうの反則は見逃される。
小さな町に行けば審判がお金で買収されていることもある。
それはもちろん不公平だ。でも、それはどこに行ってもある事なのだ。

世界というのは『平等に不平等なもの』なのである。

大体小学校の頃から可愛い子や頭の良い子は先生に贔屓されてたじゃないか。
カッコいい子や足の速い子はそれだけで女の子にモテてたじゃあないか。
そこで理不尽や不平等なんてとっくに学ぶべきなのだ。


不平等なこの世の中でどう生きるか。
その不平等な世界の中でどう咲くのか。

その力を持っている者だけが残っていくのだという事である。
咲くものはどんな条件の中でも必ず咲く。

環境やジャッジに文句を言っている人というのは一生文句を言い続ける。

短い人生において無駄な時間を生きるのは勿体なさすぎる。
真央ちゃんやキムヨナがジャッジに文句を言っているのを見たことが無い。
自分の演技への悔しさは語るけれどそれは自らへの悔しさであって判定への糾弾ではない。
そしてその目はもう次に向いている。
でなければ一晩寝ただけであんな演技はできないだろう。
僕たちの世界だってそうだ。
コンクールで負けました、オーディションに落ちました、
それをジャッジのせいにしている人はずーっとそこから抜け出せない。
たとえそこに不正があったとしてもだ。

僕の周りにも、「日本はさー」「二○会はさー」といつでもぶちぶち言ってる人がいるけど
そういう人はたいてい売れない。

次を向く事、明日を見る事、不正があるのなら
その中でどうやったら力を出せるのかを考える事。
文句の前に動くこと、努力を続けること。
それができる人だけが残っていくのだと思う。

あのオリンピックの氷上にいる人たちはそういう人たちだと思う。

それは良い人とか悪い人とかではなく、生きて行く力の問題だと思う。

ネガティブキャンペーンをする人たちに嫌な気持ちになるのは、
その人たちの生きて行く力の弱さを見たくも無いのに見せられるからだ。
人の事を言っていても自分の事を言っていても同じ。
その場所で生きて行こうと決めたなら文句を言う間に進むこと。
世界を輝かせるのは自分なのだという事。

改めてそんな事を考えさせられたオリンピックフィギュアだった。

<以上、高田氏のブログから引用>



 『ジャンルは違うとはいえ同じ競技者からの鋭い視点じゃの』
17:48  |  こんな事あんな事
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